とにかく、当時の医局は封建的でした。
臨床の力がなくても先輩だからという理由で、仕事もせずに患者をないがしろにしていることが許せませんでした。
あるとき、当直の時に患者様が急変しましたが、カルテが全然書かれていなかったのでどんな状態なのかわかりませんでした。その次の朝、2年先輩の先生にカルテをちゃんと書いてくださいと言ったら、怒られてしまいました。
年数ではなくしっかりした臨床力をつけようと、不妊外来を担当されていた二人の先生に毎日師事して勉強し、研修医2年目で不妊外来を担当することを医局長から許されました。当時、研修医が外来を担当することは産婦人科のようなメジャーな科目で、特に大学病院ではまずなかったそうです。またその頃、経膣超音波装置の試作品が手に入り、不妊外来で卵巣や子宮の状態を細かに観察していたため、超音波診断の技術も飛躍的に上達しました。
また、専門書を暇さえあれば読み、圧倒的な知識量をバックに臨床にあけくれる毎日でとても充実していました。
日本では、長い物には巻かれろということわざがありますが、この日本的・保守的な考えは私には合いませんでした。その分頼れるのは自分の臨床力だけですので、責任感も養われました。